ああああ

漫画・本・映画・演劇・その他コンテンツの感想を書く場としてがメイン。日本語の練習を兼ねています。

カウボーイビバップを見た

COWBOY BEBOP Blu-ray BOX (通常版)

COWBOY BEBOP Blu-ray BOX (通常版)

マイメンのdokataが好きなアニメとして本作を挙げていたため、Amazon primeで検索し、何日かかけて見た。

本作は、宇宙開発が進んだ数百年後?の未来において、賞金首狩りを生業とした主人公たちを巡る物語だ。話数が一桁のあたりでは、スパイクたちが高額賞金首を追いかけ、見事事件を解決するが思わぬすれ違いで賞金は手に入らない……というストーリーの典型を反復していたが、5人(?)目の仲間であるエドが船に乗ってからは、その典型から外れ、一人ひとり中心に据えてキャラクタたちの過去を扱ったり、気分を変えてコメディの雰囲気に振ってみたりと、油断ならない方向へ歩を進めていった。

特に23話から最終話までの悲しげな雰囲気は、登場人物たちに愛着が湧いてしまった分、どうにもやりきれなかった。
何度も見たくなる理由がわかる作品だった。

作品を効果的に彩っているのが音楽だろう。印象的なオープニングは勿論、シーンの随所で挿入される曲は情感を刺激するし、最終話でエンディングの2番がかかったときは興奮した。サントラ買ってしまう。

また時間が出来た時誰かと見直したい。

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3/1 追記

思ったことだが、フィクションに通底する因果応報の摂理はどうにかならないのだろうか。
フェイが最後に言った、「帰る場所」はもう既にそこにあったのに、スパイクやヴィシャスは立ち止まることが出来ず、転がり切るところまで慣性に身を任せてしまう。それが男の美学なのか? 人を殺しまくったら幸せになってはいけないのか? 絶対に許せない相手と心中しなければ行きていけないのか? 適当に折り合いをつけ、今ある幸せを守ることは魂に背くことになるのか?
これはキャラクタの心理を超えて、視聴者の中の倫理観に問題があるように思う。咎を背負えば死なねばならぬ。そう視聴者が思っているのに生き残れば、「ご都合主義」なのか? 

賞金稼ぎという仕事柄、スパイクたちは銃弾が飛び交うようないつ死んでもおかしくない生活を送っていたわけで、主人公補正として生き永らえてきたわけだが、それも実は、暗に死に場所を求めていたと読めば、ほんわかしたコメディも哀しく見えるかもしれない。
長期的な目標もなく賞金稼ぎをし続けるなんてことは、実質緩やかな自殺みたいなものだったのか。

そういう不器用さを肯定すべきではないと思う。

2016年読んだ本まとめ

2016年 120冊

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オール京都「沼楽屋大爆発」のオススメ文

久しぶりに演劇を見て「面白かった!」と思いました。
この記事は、単に感想というよりも、宣伝の意図が強いので、内容に深く踏み込むようなことはせず、まだ見ていない人が、なるべく立誠に足を運びたくなるような文章でありたいと思って書いています。

「沼楽屋大爆発」は、メタシチュエーションコメディです。「死ぬほど滑ってる芝居の楽屋」を舞台に乗せつつ、その滑ってる芝居の内容も「楽屋裏モノ」で、しかもその2つのシーンを両方芝居にする。言ってて意味不明ですね。まず、舞台が2つあります。隣り合う二つの部屋がそれぞれ劇場となり、観客はその二つの部屋を自由に行き来するんです。だから、観客は、「滑ってる芝居」と「その楽屋」両方を並行して見ることになります。ただし、それぞれは別の部屋で、当然肉体は一つなので、二つを同時に見ることは出来ません。芝居中に、立って、別の部屋に行って、また戻って、また移動して……というのを上演時間中繰り返します。

これがまた異次元な面白さでした。「このシーンではこっちの部屋の芝居を見てください」なんて指示は全く無いので、観客は任意のタイミングで、あっちを見に行ったりこっちを見に行ったりしていました。僕は結構バタバタ動いていましたが、隣によく居た笑の内閣の高間さんと思しき人はもっと移動していました。それぞれに楽しみ方があると思いますが、僕はストーリーの空気を読んでバタバタ動くのをおすすめします。

断片的に話を見ることになるので、全体のストーリーは穴ぼこになるんですよね。そこを想像で埋めるのは新感覚の快感です。楽屋でこう発言して出ていって、こう言ってるってことは向こうではこんな話をしたのかな。オッ、隣の部屋から叫び声が。いっちょ見に行ってみるか。あ、丸山交通公園が部屋を移った。ついて行こう……でも、こっちも話が立て込んできたな。どっちに行こう?あ、戻ってきた。

みたいな、今までにない観劇体験です。さらに言えば、この「二つの舞台を置き、そこを観客が行き来する」というアイデアは、ストーリーと演出によって作品の中で必然性を獲得しています。「発想は面白いけど、芝居に落とし込めてないな~」というレベルではないです。

僕は丸山交通公園さんと直接の面識はないですし、今回の芝居も初日無料に釣られて行った口ですが、思わず1000円払いました。2500円という値段は学生にとっては高価です。同じ会場で『この世界の片隅に』が1.6回ぐらい見れる値段です。ただ、この芝居が空席だらけというのはあまりに切ないので(あまり混雑しても移動できないので困るが)、広告に協力しています。まぁ割安で見た対価なんですが。
値段は交渉で安くなるらしいので、払えるだけで予約して、見終わってから(払いたければ)払えばいいのではないでしょうか。或いは、定額で払う人で席が埋まるのが一番いいのかもしれませんが。

↓詳細↓
ホーム - 丸山交通公園

期間 2017/01/20 (金) ~ 2017/01/23 (月)
劇場 元・立誠小学校
出演 丸山交通公園、石田達拡、小林欣也、西村花織(劇団しようよ)、ピンク地底人2号(ピンク地底人)、山下ダニエル弘之、横山清正(気持ちのいいチョップ)
脚本 丸山交通公園
演出 丸山交通公園
料金(1枚あたり)

0円 ~ 2,500円
【発売日】2016/12/17
・無料公演あり
・チケット代応相談


タイムテーブル
2017年
1月20日(金)19:00※無料
1月21日(土)14:00/19:00
1月22日(日)14:00/19:00
1月23日(月)13:00/16:00


丸山交通公園さんの乾いたブラックさと湿った切実さが共生する芝居を、定期的に見れたらいいなと思います。

劇場版聲の形を2回見てスタッフトークを聞いた

スタッフトークの感想の後、映画の感想をまとめます。敬称略。

スタッフトーク(2016/09/27 MOVIX京都)

山田尚子監督とキャラクターデザインの西屋太志が登壇して、制作の裏側についての質問に答えていた。山田監督がデへへへ笑ってたことが印象に残っている。あまり特別な発言はなかったように思うけど、

・劇場版は映画として、原作とは違う作品として作ったこと
・キャラクターデザインにおいては丸みを意識したこと
・長く(永劫に)愛される作品を目指して作ったこと
・シリーズを経ずに映画を作ったのが初めてだったので、チームワークを強く意識したこと
・硝子は「肉感のあるキャラクタ」と大今良時から聞いていたから、やや寸胴気味に、対して植野はすらっと伸びていくように描いた、と言っていた
大今良時の絵柄に対しての愛着もある中で、どう映画で動かせる絵にするか、という部分は、映画としての「聲の形」の雰囲気と合わせてかなり監督と話し合った
・ポスターの空の青、空に交じる黄色の粒、挿す陰さえも青が交じる部分などは、作品の中で徹底されている部分らしい(特番でも空については触れられていたなぁ)
・長束はスタッフ内で書いてて人気だった
・マリアの髪型はカニなんですよ!(山田監督)

とかは覚えてるかな。『聲の形』についてとても真摯に向き合っておられるなぁと思いました。

映画の感想

僕は原作の漫画がとても好きで、映画二回目は公式ファンブックと原作を読んでから向かいました。そういう前提の元の感想です。

(是非はともかく)映画と原作は別物

原作を読んでもわかるし、公式ファンブックを読むと尚の事わかるんですが、原作は漫画という表現方法を最大限活かすべく表現方法とストーリー展開が選択されています。だからそれをそのまま映像化しても仕方ないし、映画という表現媒体に合わせた内容に変えるべきだと考えられているんだな、と見て思いました。
例えば、原作では基本的に物語は将也目線で進むため、「将也が見る世界」を描いていました。しかし映画は「登場人物たちをどう切り取るか」という視点が強く働いていたと思います。それは例えば、言葉を発している人物の表情をあえて画面から隠す技法(植野が西宮と初めて再会したシーンなどの、植野をめぐる場面で顕著)や、同じ空間に居る2人をあえて別々に撮る技法(鯉に餌をあげるときとか)とか、客観的なところにカメラがあることを見ていて強く意識しました。原作では、常に将也に視点がある分、昏睡状態に陥ったとき各キャラクタに初めて焦点が当てられ、それまでの話の筋に多視点が追加されます。しかし映画ではそこはかなり省略され、将也と硝子を中心とする話に収まっていました。これはある種必然だなと思いました。また、カメラ視点が自由な分、原作では省略されたという*1硝子の右耳の聴力がひどく低下したシーンが追加されていました。

石田将也の性格

また、映画と原作の将也は、その性格において質的に違っていると感じました。原作の将也は、いじめを受けて孤立して以降、クラスメイトを始めとする他人を見下すことで自分を保っていたと思います。他人の顔に張り付いた×マークは言わば将也が他者に貼った「レッテル」の象徴でした。しかし映画においてはその攻撃性は削られ、将也はかなり優しい、弱さを抱えた存在として描かれていたように思いました。例えば、教室で川井やクラスメイトに将也がアテレコする場面でも、原作では彼らに悪態をつきますが、映画では頭を抱えるだけです。その後、クラスメイトが将也に「飛行船が飛んでいる」と教えるのに自分の世界に没入していて気がつかない、というシーンが挿入されるのも、劇場版の将也の内向性を宣言するためなのかなと感じました。こうした差異は、長束と並んで弁当を食べているシーンでも見られました。原作では「同じだと思われたくない」と言って席を立ちますが、映画では気にせず硝子のことに思いを馳せます。こうした性格の差異は、デザイン上の「丸み」という部分にも表れているのかな、と思いました。

恋愛濃度

さらに、映画の将也と硝子の関係は、恋愛濃度がかなり高まっていると思います。象徴的なのは、将也が硝子を引き上げ、代わりにベランダから落下するシーンで、「そういえば、西宮が俺のことどう思ってるのか 聞けばよかった」というモノローグだけが残ったことです。原作ではこの部分は、将也の懺悔と自罰の中、最後に語られたものでした。過去への自罰感情とどう向き合うか、という筋書きの中で、彼らの恋愛感情は付随的なものに思えます。これは、原作の将也の中には硝子に対する贖罪の気持ちと同時に、他者と向き合っていないことへの劣等感も強くこびりついているからだと思います。映画版ではそれは、他者への恐怖というかたちを取っていたように思えます。

映画の評価

僕は映画について、将也が昏睡状態に陥り、硝子が友達行脚を行い、火曜日の瀬戸際に橋の上で慟哭するシーンまでは非常に感嘆していたのですが(早見沙織はすごいなぁ)、橋の上での二人の会話があまりに恋愛めいていたことで、不安な気持ちになってしまいました。将也(原作)は、泣く硝子を抱きしめることをしませんでした。「生きるのを手伝って欲しい」とは、いじめられても目の前で友人が喧嘩別れしても祖母の葬式に参列しても涙を流さない硝子に対しての切実なメッセージであり、同様に命を投げ出しかけた将也の自らへの宣言だったはずです。ただ、映画では、「もっとみんなと一緒にいたい 遊んだり笑ったりしたい」という部分が省略されていたような気がして、プロポーズみたいに見えてしまって…ウウウ頭がという気分になりました。硝子に手話を作らせ手を握って照れたことで、将也の自意識がシーンに表れてしまいました。ここは、「言うべきだったのに言えなかったこと」を伝える場面であり、結絃が出来なかったことを代行する場面でもあります。作中で積み重ねられたディスコミュニケーションを一気に乗り越えるシーンです。しかし、個人的にはこのシーンが、直前の早見沙織の叫びに負けていたように感じてしまいました。もうちょっと時間を割いてもよかったのでは、と思う反面、「相手のことを勝手に解釈していた」という反省は、原作の各キャラクタの内面に踏み込む描写があるからこそ成立するような気もするし、映画としてどうあるべきだったかは…。よくわかりません。この部分についてはあまり言語化出来ていません。

ところであの場面で将也が作ったのはやはり「ともだち」でしょうか? 硝子は「約束」と返していたようですが……。

ラストシーン

そして、将也が涙を流して終わります…。この終わらせ方についても、僕は手放しで褒められません……。それはなんとなく2つの理由が今思いつくのですが、1つ目は「涙を流しすぎなこと」と、2つ目は「このシーンで幕切れなこと」です。このシーンは、たとえ他者によって傷つけられるとしても他人という存在を受け入れて生きていくことを将也が選択するシーンだと思います。ここで今まで内面化していた他人への恐怖を受容できたことは、確かに一つの劇的な瞬間ですが、ちょっと演出が劇的すぎませんか? 強烈な音楽効果と大粒の止めどない涙によってこのシーンは、将也の内面的変化に自己救済の色を強めすぎているように思えて……涙を流すにしても、笑っていてほしかったなと思います。これは、a spot of lightの中に見える2つの影の意味がよくわからないことに起因するかもしれません……。あと、2つ目の理由については、将也の自己救済で終わると、将也が気持ちよくなるためにこの物語があるように思えるので、せめてスタッフロール中でもなんでも良いので、その後の映像が見たかった。ここで言うその後とは、成人式でなくても、涙を流した将也を囲むみんなとか、その程度でよかったので、自己受容という変化ではなく、自己受容をして生きていくという継続的なものが見たかった。

ただ、原作から登場人物個々人への踏み込みを削って、将也と硝子の物語に的を絞って恋愛濃度を高めた(aikoの歌も『恋をしたのは』だ)のだから、この終わり方も筋が通っていると言えるのかもしれない……。

その他映画について

・声優はみな良かった 僕は元々特に結絃が好きだったのだが、悠木碧の演技はサイコー 
・構成 喧嘩別れのシーンと祖母の葬式を時系列的に入れ替えていて、確かに映画の盛り上がりの動線としてはそっちの方が良いんだろうなと思いつつも、祖母が死んで間を置かずに硝子が身を投げているようにも見えて難しいなと思った
・映画ならではの動きを活かした演出(エスカレータですれ違うとかジェットコースター乗るとか)すき
・雨の中家出した結絃に将也が傘を差し出す構図と、終盤植野に硝子が傘を差し出す構図を重ねてて、短い時間で印象を強めるのが上手いなと思った
・音楽よかった(特に将也がカメラを取りに西宮家に行ってからのとこ。葬式のシーン音割れしてたんだけどMOVIXの問題?)*2
・二時間ちょいで『聲の形』が味わえるのは凄まじい(長い作品は見ていて疲れるし、時間をかけることで失われる体験の価値もあると思っています。)
・スピード感があるので、火曜日、手話(見覚えのある動作がすぐ出てくる)、水の波紋など重要な小道具がわかりやすい
ポニテ、あぁ^^~~~~(みんなかわいい)
・自罰感情から怒れない将也を見て、結絃は硝子のことを思い出したんだろうなとわかった


・「あなたがどれだけあがこうと 幸せだったはずの硝子の小学生時代は戻ってこないから」「はい!」があってほしかった
・西宮母が植野をビンタしまくるところ、作品屈指のギャグシーンだと思っているので省略されて残念だった
・真柴が装置だったので悲しかった(友だちになれたと思っていたのに……)(でもヘラヘラはしてる)

映画を見た人は原作を読むべきか?

何度も言ってきましたが映画と原作は別物でした。僕は映画も(ラストを受け入れられていませんが)よく出来た作品だと心から思っています。動的な演出や音楽、声優の演技、象徴の使い方も含めて、漫画とは異質の面白さが詰まっていると思います。
ただ、原作は含まれている情報量が桁違いで、ストーリーの深さが比べ物にならないので、映画を見てなにか思うところがあった方なら、ぜひ原作を読んでみるべきだと思います。というか、原作読まずに映画見た人、あのスピードについてこれてるんですかね?

漫画の『聲の形』の面白さは、キャラクターたちの明確な存在感にあると思います。登場する人々が全く違う価値観と全く違う背景を持っているのに、それぞれの思考回路が(共感できなくとも)理解できるというのは、ある種異常なことで、それを描ききれていることは大今良時の突出した能力の一つだと思います。聴覚障害やイジメという要素は独り歩きしやすいですが、『聲の形』はキャッチーな要素を越えて普遍的な問題に踏み込んだ作品だと、思っています。

公式ファンブックについて

公式ファンブックはページの2/3が読み切り(2パターン収録)で800円(+税)という阿漕な商売だと思いましたが、作中の演出やセリフの意図について大今良時が細かく解説してくれているので、これを読んで原作を読み直すと、作者の漫画構成力に屈服してしまうと思います(僕はしました)。大今良時は頭を使って理論的に作品を描くタイプの漫画家で、しかも、読者がどう読むかということにとても自覚的な方なんだなということがよくわかります。「漫画に情報を詰め込む上で、こんな工夫もあったのか」という目線でも勉強になる一冊です。原作ファンなら必ず買うべき一冊だと思いますし、フィクションを作ることに携わったことがある方なら違う意味でも楽しめると思います。
映画とは関係ないので、原作を一度読んでから読みましょう。

余談


公式設定資料集、初日の正午には売り切れてたので異常だと思った。
映画をキッカケに原作に手を出す人が増えると嬉しいなぁと思う。大今良時は2016年末に週刊少年マガジンで新連載予定らしいぞ!

*1:公式ファンブックp138参照

*2:追記。葬式のシーンの音割れは意図的なものであったらしい。ともすればメタ的な不具合と思えることを演出に加えるのは勇気のあることだなと思いました。友人は『音響が心情表現の演出に深く関わっているのは、ラストシーンで将也が耳をふさいでいた手を外すことにつながっているのでは』と言っていました。へ~。でも音割れが誰のどういう心情を暗喩しているのかはよくわからないからあんまり評価できないな……。

6月に読んだ本

2016年6月の読書メーター
読んだ本の数:22冊
読んだページ数:3732ページ
ナイス数:34ナイス

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アトピー性皮膚炎患者のためのステロイド使用方法

僕は赤子の頃からアトピー性皮膚炎を患っている。ここ最近は病状はかなり改善されていて、傍目からはそもそも僕がアトピーだとは気づかれない。それでも汗をかいたまま放っておいたり薬を切らしたまま何日も放っておくと、耐え難い痒みが生じ、膝の裏とか腹とか肩甲骨のあたりとかに、湿疹やら、外皮の炎症やらが出来る。

20年以上症状とともに生きているとある種諦観の域というか、そういうものだと思って不便も感じないが、どうも薬の塗り方でもっと症状は改善する可能性があるらしい。面倒くさがりな性分から失敗を続けている。なので、かかりつけの先生のお言葉をメモすることでなんとか実行に移せたらと思う。アトピー性皮膚炎で悩んでいる方がいれば、参考程度に見て、間違い等あれば指摘してくれても構わないです。ただし、僕自身は、アトピー性皮膚炎の専門家ではないので、ステロイドの副作用等についてはよく知りません。以下のやり方は2016年3月の学会で刷新されたアトピー性皮膚炎患者用のガイドラインに則っている、らしいです。ただしこれは個人的な覚書であり、何の権威的効用を保障するものではありません。

原則

ステロイドは、集中的に使って、早いうちに使用を終えることができるようにする。(1日一回を1ヶ月塗り続けるより、1日2回塗って2週間で直したほうが好ましい)

流れ

1.痒みがある、或いは肌のザラつきがある部位に、薬(僕の場合はアンテベート軟膏)を塗る。この頻度は、アンテベートを塗った結果痒みがどの程度の長さ治まるか、による。例えば、薬を塗った結果痒くない状態が24時間続く場合、一日1回でよい。24時間以内に再び痒みがぶり返す場合は、1日2回塗布する。

2.痒みがなくなっても、ザラつきが残っている場合は1日1回塗ることを続ける。

3.ザラつきも完全に無くなったら、塗るペースを2日に一回に落とす。(この時、ステロイドを塗らない日に保湿剤(ヒルデロイド等)を塗っておくと、予防効果がある)


4.2日に1回のペースで2週間塗り続けたら、今度は塗るペースを一週間に一回に落とす。

5.同様に二週間経ったら、次は1ヶ月に1回にする。

6.ぶり返しがなければ、ステロイドを止め、プロトピック軟膏など皮膚の薄くなる副作用のない弱い薬で予防を図る。

備考

・顔にステロイドを使う場合は、塗る日数を1月のうちで7日~10日以内に収める。1日2回塗ってもいい。(カレンダーにメモっておこう)
・この行程の間でぶり返した部位があれば、記録しておく。例えば僕は、膝裏、胸の上部分、肘などだろうか。その部分は「ぶり返しやすい部分」なので、他の部分よりも注意を払っておこう。

最終目標

アトピー性皮膚炎の治療において目標は必ずしも完治ではない。「感じる痒みの大きさ」「全く痒みを感じなかった日」を少しずつ大きくしていき、「痒くて止まらない」という状態を極力起きないようにすることだ。
「どうせ完全には治らない」と諦めるのではなく、1週間のうち6日全く痒くない日だった、あっても僅かな痒みだった、という状態を目指し、維持できるように頑張りましょう。

薬とは関係ない、アトピー性皮膚炎の治療において気をつけておくべきこと。

1.乾燥を防ぐ
秋~冬の季節の変わり目やお風呂あがりなどは特に乾燥しやすいらしいので気をつけよう。

2.汗を拭き取る
汗をかいたら濡らしたタオルで拭き取り、こまめに着替えよう。夏場は寝汗にも注意だ。

3.アレルギー体質ならアレルゲン物質にも気をつけよう。
花粉の時期は洗濯物は外に干さない(できれば一年中干さない)。マスクを付ける。
ホコリやハウスダスト対策に、部屋はこまめに掃除する。
布団や枕カバーもこまめに替えような。


以上(2016・06・14)

強迫的なモノローグの掛け合い-『春の呪い』(小西明日翔)(1巻)

春の呪い 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)

春の呪い 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)

【あらすじ】
ずっと好きだった妹が癌で死んだ。今私は、妹の恋人だった男と交際している。「妹と一緒に行った場所へ私を連れて行ってくれるなら」という条件をつけて。

【感想】
設定ありきの短編小説みたいな話。宮崎夏次系なら18ページで書きそう。主人公・夏美にとって、唯一の家族であり、愛することの出来た人間であった妹・春は、癌で早逝してしまった。春の死後、春の恋人であった男・冬悟が、夏美に交際を申し込み、二人は思い出の地を巡る……という、あまりに象徴的な舞台設定の上でのドラマ。記号的とさえ言えるかもしれない。
夏美は、両親からの愛情を認識できなかったために妹に献身的に依存し、その妹の心を奪っていった冬悟に対して嫉妬や憎悪と呼べるような感情を抱いていた。冬悟は、良家の末っ子という環境の中で、自己の感情を知らず知らずに抑圧してきていたが、それを刺激される存在として、夏美に興味を抱いていた。

簡単にいえば、生きる理由を失った女と生きる理由を見つけられていない男が亡き春を言い訳にして交際を行っているのが一巻の内容。この作品が優れていると思ったのは2人の独白の密度で、悪く言えば絵で読者の想像の余地を残す部分というのはほとんど無いんだけど、言葉にずっとついていってページを捲らさせられる感覚がある。例えるなら会話劇を読んでいるような感覚。特に1,2話の空気感はすごくよく出来ていると思う。1話では夏美目線、2話では冬悟目線で、どちらかの目線の時には一方の内面を吹き出しに頼って語っていないところも好感が持てた。

これは3・4話も一貫されている、と思ったんだけど、3話では冬悟が(気づいていないのか……)と内面を示していて、残念だった。どうせ4話で夏美が気づく時に説明できるんだからここの吹き出しは無いほうが良いよな~、と個人的には思うのだけど、こういう「一人称の物語での目線漏れ」って、他の人はあんまり気にしないんだろうか。

話を広げようがないし、もともと2冊で終わる予定だったようで、次巻ではネット上に偶然見つけた春の日記が物語終幕の鍵になるようだ。夏美の義母も夏美に説教しそうな雰囲気をぷんぷん醸し出している。特に一巻ではモノローグの応酬であって会話にはほとんど成っていないから、この作者が「キャラの自分語り」ではなく「会話/交流による解決」を描けるかどうかは次巻での課題ということになっている。

生きている罪悪感に震えて叫びだしたり、人生に虚無感を覚えていた人間が人生初めての恋愛に頭を殴られるような衝撃を覚えながらも自分の性格を崩せなかったり、そんな描写が好きなら読んでも良いと思う。(2016・5・15)