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ああああ

漫画・本・映画・演劇・その他コンテンツの感想を書く場としてがメイン。日本語の練習を兼ねています。

見えるがゆえに見えなくなる-『恋は光』(秋★枝)(1~4)

ここ数年はもっぱら読書メーターを感想録として使っていたけど、長文で感想を書くことを怠ってきたために色んな力が衰えているような気がするので、読んだ内容のまとめと感想を文章にする訓練を兼ねて時間がある時に漫画の感想を書きたいと思う。


【あらすじ】
「恋をしている女性が光って見える」主人公・西条は、天然貧乏文学美人・東雲に恋をする。交換日記を通じて交友を深めていた二人の仲に、西条の親友・北代と、略奪愛好き・宿木が参戦し、交錯する大学生の恋愛模様を恋愛マスター・秋★枝が描く。

【感想】
そもそも秋★枝先生は、2007年『東方儚月抄』で華々しく商業デビューし、恋愛物の連載をいくつか描き、代表作『煩悩寺』『wizards' soul ―恋のジハード―』などを持つ中堅漫画家である。短編集『伊東さん』の帯で「恋愛マスター」という二つ名を獲得したことから、「恋愛マスター」と呼ばれている。

今作は、「恋をしている人間が光を放って見える」特殊な体質の主人公を中心に微妙に空回りする恋愛模様を描いているのであるが、この「恋愛感情の視覚化」というアイデアは、前作『恋愛視覚化現象』(全二巻)(恋をすると角が生える世界設定)の焼き直しである。ただ今回は少し味付けが変えられている。それは、女性たちが発する「光」が恋によるものなのかどうか保証されていない点である。あくまで主人公が経験的に推測した結果に過ぎない。この「不確実性」が主人公らの人間関係をこじらせるのに役立つ。自分を好きになると思えない人間が光を放ち、「光は自分にとっての危険人物が放つのか?」という疑念が湧いた途端に、想い人から自分に光が送られる。また、幼なじみの持つ恋心には、光が無いため気づかない。なまじ情報があるゆえに、正しい認知が出来ずにいる。携帯電話がフィクションの世界から「すれ違い」を消したと言われる現代に、見事にちぐはぐな思いの交差を作り上げている。

また、秋★枝先生は基本的に悪人を描かない。今作もご多分に漏れずド天然の東雲・超善人の北代・小者の宿木と良い人のお花畑である。主人公西条は視野の狭い臆病ナルシストなので他人を傷つけるようなことはしない。この中で関係をかき回すのは宿木であるが、僕はこの宿木が人間味があって好きだ。欲しいものがわからないから他人の恋人を奪うことで消費的な欲望を満たし、それでいて罪悪感に耐えられず、衆目が気になり、かといって他人のために自分の欲求を諦めることはしない。宿木のお陰で3人の関係が緊張感のあるものに保たれている。無菌室育ちの東雲にビキニを着せ海に連れ行き脳軽チャラ男をあてがうという鬼畜の所業を実行した際は、「なし崩しレイプで東雲闇堕ちか……」と生唾を飲んだが、意外とチャラ男は強引さに欠けたため、秋★枝ワールドは壊れなかった。チャラ男が夏庵式日焼けマッチョだったらこうはいかなかった。

読書好きで思索にふけることが多い東雲女史だが、所謂天然キャラ、世情に疎く思考が一本気、発想が柔軟でない、そういう描写が、あまりに幼く見える上に、性行為を想像し顔を赤らめる一方で、男2女2で無警戒にも海で遊んでしまう無防備さが、少し痛々しい。しかも、彼女は小説もろくに読まないようなチャラ男と同じ大学である。基本的に作中の大学生は目の前の試験をなんとかやり過ごし単位を一通り揃えて卒業することしか頭に無さそうな私立文系クソ大学生ばかりである。頭良いキャラぶんじゃねーよ!同年代の女子と一緒に海に行ってビキニを見たことある人間は全員許さねえ!

また、きっかけとして交換日記で交流を始めた西条・東雲であるが、話が進むにつれてその存在感は低下していってしまった。交流に古風な小道具を使うのは、『煩悩寺』(全3巻)を髣髴とさせる秋★枝先生らしさだと感じる。

最新刊である4巻ではTwitterを通じて主人公と同じ「能力」、即ち「恋をしている女性が発光して見える」症状を持つ少女との出会いが匂わされるのだが、ハッキリ言ってそんな設定に読者は興味が無いのではないのだろうか。少なくとも僕は無い。僕が今作に求めていたのは、秋★枝先生の可愛い絵柄で描かれる女性たちが罪悪感に苛まれたり失恋に傷ついたり恋の成就に破顔したりするさまであって、男の能力の設定なんてどーでもええわ。そういう興味のない部分に話が転がっていってしまうのは悲しいなと感じた。

あと、幼なじみキャラ・北代は、美人・優秀(なお成績)・善良と素晴らしい人間に描かれているが、あまりに自己完結し過ぎであるように見える。「恋が見える」という設定のためいちばん不憫になっている立ち位置だが、その設定がなかったとしてもこんなに自分を殺してしまう性格ではいずれあまり変わらない状況におかれていたのではなかろうか。能力の秘密が明かされて北代が「本当の恋人」みたいになったら最悪だなと思う。個人的には、光云々を理由にして、目の前にいる人間の感情に対して向き合わない主人公の態度は不誠実であるように感じる。不誠実というか、迂遠で時間の無駄かな。

ここから話がどう転がるのかわからないけれど、東雲がポリアモリーを提案し一夫多妻エンドになれば最高だと思う。幸せな終わりばかり描いてきた秋★枝先生が、誰かにとっての悲恋を描いて終わるのかということも含めて続きが気になる作品だ。(2016/05/15)

2015年に読んだ本まとめ

2015年の読書メーター
読んだ本の数:350冊
読んだページ数:69078ページ
ナイス数:954ナイス

シンプルノットローファー

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イギリス生活雑感

たしか9月の20日の飛行機で出国したので、イギリスに来てから丁度1か月が経過したことになる。
まだ講義も軌道に乗ってきたので、この時期に思っていたことを残すことは無意義ではあるまいから、思いついたことを徒然と書く。ちなみに今はイギリスでは23時27分だ。

ニューキャッスルって?

公式にはNewcastle upon Tyne,みなNewcastleと呼ぶ。市の人口は29万とか。イングランドの北端ぐらい、スコットランド最大の都市グラスゴーまで電車で3時間、ロンドンからも3時間。
https://gyazo.com/7e35545632c96a68ba5a53c680398e69

人口

イギリスの都市としては、ロンドン、バーミンガム、リーズ、グラスゴー…と続いて39番目に人口の多い市だ。日本で39番目に人口の多い年は富山市らしいが、富山市よりは都会に思える。人口が密集しているからそう感じるのだと思う。

ニューキャッスルは大学都市のようで、ニューキャッスル大学は2万人の学生を擁しているし、近くにはもう一つ大学もある。京都と似てる。
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メトロに沿って商店が並ぶ。大学からは徒歩1分。

伝統と文化

町並みはかなり古いっぽい。天を貫く大きな協会もいくつかあるし、町のシンボルとして天使がいる。
現地の人はかなり訛りが強いらしい。東北弁のようなものだろう。
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ニューキャッスル大学

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TIME紙による2016年度大学ランキングによると、ニューキャッスル大学はオックスフォード、ケンブリッジ……に次ぐ国内32位の大学。世界では196位。
hidesysが「ジョグジャ大学はインドネシアで二番目の大学」って言及するまでニューキャッスル大学がイギリス国内でどの程度の立ち位置なのかなんて考えもしてなくて、調べたら思いの外イギリスの中では低くてびっくりした。人口6000万のイギリスで32位というとパッとしない印象だが、世界196位というと阪大よりかなり良いので、ランキングの基準がよくわからないが、単に日本の大学の教育レベルが低いというだけなのかもしれない。
実際学生はみな学ぶことに意欲的だし、クラスの単位は小さいし毎回読書課題は出るし、語学サポートも充実しているしスタッフはみな笑顔だし、教育環境として不満はない。研究がどうとかは知らない。

京大の派遣留学一覧に乗ってる大学でもかなり差があるとは思いもよらなくて、唯一載ってるのを覚えてて今日ドイツ人が話題にあげてたハイデルベルグ大学は世界ランキング37位だった。

アジア系交換留学生

日本人は15人弱ぐらい。愛知県立大学北海道大学一橋大学や岡山外国語大学?とかから来ている。
中国人は30人ぐらいだろうか*1。 ただ、ex-change studentとしてではなく普通に留学してきている中国人も多いので、アジア系の7割ぐらいは中国人だと思う。そもそも人口が日本の10倍で経済成長中なのだから多くて当たり前かとも思う。

生活

気候

イギリスは高緯度にあるけど暖流の関係でそれほど寒くはならない。もちろん寒いけど、北海道よりはマシなレベルで、一番寒い1月の最低気温平均は2.1度で、今調べたら京都は平均1.2度。京都より暖かいやんけ。ビビる必要なし。現地の人間は半袖でうろついているけども。

イギリスに来た初日は、寮にはルームメイトは1人もいない、ベッドにはシーツもない、Wifiもつながらないし暖房の付け方もコンロの使い方も分からない、とここ数年で一番死にたい気持ちになったけど、ルームメイトが到着したり日本人留学生と交流したりする中で心に平穏が訪れるに従って、寒冷な気候にも慣れてきた。

食事

巷で言われるほど不味くない、けど、そもそも高価なので外食をしない。今まで外食したのはdominoPizzaと観光地のサンドイッチ屋・フィッシュアンドチップス屋ぐらいだ。どれも美味しかったし、イギリス人のルームメイトが作る料理も軒並み美味しい。ただ、食事付きの寮に住んでる日本人留学生が「メシがまずい」と文句を言っているのは聞いた。
僕はカレーやミートソースやスープを鍋に作って、合間にトーストやラーメンを挟みながら2日3日食べる生活を繰り返している。パスタやチーズが食卓に加わって、シメジや椎茸がマッシュルームに置き換わっただけで、あまり代わり映えしないかも。米は全然食べてない。

賃貸

大学の寮に住んでいる。ニューキャッスル大学は20種類ぐらいの寮があって、その多くは大学徒歩圏内だが、地下鉄で10分の寮もある。
僕が住んでるのはRichardson Roadという寮で、週88£、16000円ぐらい。だから月7万円ぐらいか。9月20日~1月29日までの契約で、1590£だったので、4か月半で32万。みんな円安が悪い。ちなみにこの寮は最も安いうちの一つだ。
部屋はベッド・暖房付き5畳の個室+共用のトイレ・シャワー・リビング・キッチン。男3女3の6人で暮らしている。大学のアコモデーションに応募する際イギリス人寮かインターナショナル寮か選べて、僕はイギリス人寮を選んだのでみなネイティブだ。もとはオーストラリア出身だったりギリシャ?出身だったりした。
Party Peopleが集まる物件らしく、休日の朝には小道にビール瓶が散乱していることも珍しくない。

物価は高い

物価は軒並み高い。しかしこれは円安のせいだと思う。住んでる実感としては、1ポンド=120円ぐらいで適正だと思う。今は1ポンド=190円ぐらいなので、日本と比べると1.5倍~2倍近くに感じる。例えば、このサンドイッチは、ベーコン・カマンベールチーズ・クランベリージャムのサンドで、提供時に熱々に温めてくれて非常に美味しかったんだけど、4.75ポンドだったので900円ぐらいだ。ヒエ~。
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ただ、野菜や果物はむしろ日本より安く感じる。バナナは5本で80ペンス*2、洋梨は4個67ペンス、鶏肉は500g/2.5ポンド、パスタは500g/80ペンスとか。食品はむしろ1ポンド=120円だとかなり廉価だ。まぁ実際は190円だからやや高いんだけど、外食の暴力的な値段に比べればかなりマシだ。
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イギリスには100円ショップならぬ1£ショップがあるが、日本の100円ショップに比べるとモノの質は大したことないと感じる。たぶんそれは日本の100円ショップが異常なのだろうし、僕だって1£が120円ぐらいだったらこんな感情は抱いていなかったと思う。

スポーツドリンクが売っていなくて風邪の時に困った。チャイニーズスーパーマーケットに行くとポカリスエット1.5リットルが売っていた。3.5£。キレた。
あと、キノコの山も一箱2.5£ぐらいで売っていた。買えない。

インターネット環境

寮の個室を含む全大学関連施設には強靭なWifiが整備されていて、僕はそこにただ乗りするだけでよい。
町中にもWifiは多く飛んでいるので、最悪google mapが現在地だけは教えてくれる。
多くの留学生は現地で携帯電話を契約しているが、僕はしていない。単に面倒だから。

本も高い

本と食べ物ぐらいしか買ってないから他の品物の値段がわからないのだけど、この国はとにかく本が高い。憶測だけど全米ライフル協会JASRACみたいな圧力団体が本屋にあって、本の価格を高く維持してるのだと思う。BOOKOFFのようなチェーンの古本屋が無い。古本屋でも本は2~5ポンドぐらいする。Amazon.co.ukには0.01ポンドの本も売ってるけど、配送料が2.8ポンド~3.6ポンドかかるので、結局500円とか700円かかる。ある学生は「漫画は高くて買えないからアニメを(無料で)見てる(違法だけども)」と言ってた。そう考えると、日本の貸本屋とかBOOKOFFは漫画文化の浸透に多大な影響を与えていたのかもしれない。それがいいことか悪いことかは知らないが。
だから実際洋書を買うならAmazon.co.jpで中古を(1円+配送料)で買うほうが安い場合もある。
ちなみにAmazon.co.ukは大学付設の本屋とくらべて2/3以下の価格で販売しているので、よくわからない。しかし本屋では3 for 2(2冊の値段で3つ買える)みたいなキャンペーンも常にやってるから(対象は限られているが)、まぁ一概にAmazonが全て安いとも言えないのかもしれない。

漫画がない

今のところ、本屋やスーパーで漫画を売っているのを見てない。コンビニやスーパーで雑誌がズラリと並んでいてもゴシップ誌や数独クロスワードだけ、のように見える。多分新聞も混ざってるんだろうけど、少なくとも週刊少年ジャンプは棚になかった。国のあらゆるコンビニに漫画があって、無料で立ち読みできる日本ってスゲーわ。
amazon.co.jpはどこの国でも利用できて、Kindleで漫画も読める。

イギリス人

フラットメイト

僕は5人のフラットメイトと生活している。"フラット"とは、各個人に個室が割り当てられ、シャワールーム・便所・キッチン・リビングを共有する仕組み(たぶん)。日本風に言えば、6LDKの部屋にみんなで住んでいるイメージ。そのフラットが一つの建物に何個かあって量になってる。僕が住んでる寮は3階建てで、類似の建築物が広い敷地に30近く並んでいる。僕はRichardson Roadというaccommodationに住んでるのだけど、僕は全く知らなかったのだけど*3、各accommodationにはそれぞれ特色があるらしく、ここは所謂パーティーピーポーが好んで集まる場所だったらしい。確かに周囲のビルディングからはズンズン音楽が漏れ聞こえるし、夜になれば建物間を楽しそうに移動する学生が犇めくのが見える。しかし僕のルームメイトは、社交的ではあるが、配慮のある方々なので、彼らが異常に騒ぐから眠れないということはない。
しかしそれでも日本人と比べれば遥かに社交的だと思う。彼らは引っ越しで出会った初日、晩ご飯を多めに作ったからといって数人でシェアし、自分のオーディオセットを共有のリビングに持込み、各々が好きな音楽を流し、机を囲んで酒をかっくらった。
机にコップを置いて周りにトランプを並べ、引いたカードの数字によって酒を呑む人間が変わるbringingなんとかというゲーム*4ゲームや「Never have I ever...」という、「俺は今まで~~したことない!」と言って、したことある人間は酒を飲むゲームをした。ただこれも、日本のイッキとは趣が違って、ただ酒を呑む口実や、交流する材料が欲しくてやるゲームのように感じた。ちなみにこのゲームの結果、ルームメイトはみな性交経験があり、カーセックス経験者やアナル舐め経験者が居ることがわかり、カルチャーショックだった。ちなみにルームメイトは男2女3で、みな18歳だ。
日本の価値観からすると、この6LDKに男女混合で住んでいるということも驚きだと思う。女性はみな可愛いけど、あまり現実感がなくて、娘や妹のように感じてしまう。彼女らは日本では信じられないような格好でナイトクラブに行く。ショートパンツぐらいの丈のドレス(語彙がなくて描けない)は背中も見える。冷静に考えてこんなベッピンな白人さんと一緒に暮らす機会なんて人生で無いだろうなぁ。

時間感覚

イギリス人は時間にルーズだとドイツ人が言っていた。
確かに授業は一時間単位ではあるものの5分遅く始まり5分早く終わるのが通例だし(これは教室間の移動を保障する目的がある)、学生団体のイベントも集合時間からかなり遅れて出発することもしばしばだった。
でも僕のフラットメイトは授業に間に合うように家を出るし、僕のほうがパンクチュアルではない。交通機関がどうなのかは利用しないのでよくわからない。

もうすぐサマータイムが終わるらしいがよくわからない。

言語

当然みな英語だ。僕のとってる授業の講師はイギリス人とカナダ人と日本人で、みなそれぞれ癖が違う。たぶんネイティブにとってみれば大まかな傾向に回収できるのだろうけど、僕にとっては各個人の癖としか言えない。僕は非ネイティブと話すことも多いし。

この一か月で英語が上達したかというと、ほとんど変わっていないと思う。単に英語を話すのは慣れたが、ほとんど短文の会話であるし、英語を書く機会は今のところ無い。リスニングは少しだけ聞き取れる範囲が広がったような気がするが、単に慣れの問題で上達とはいいがたい。リーディングの速度は上がったと思う。

ただはっきり言って、英語で論文を読める程度の人間なら誰でも留学できると思う。だいたい生活するうえで相手の話なんか半分も理解できていないが、そんなの日本での暮らしだって同じことだった。
大した目的もなく私大に行って4年間糞高い学費を払うぐらいなら、留学して数年苦しんだほうがまだマシではないかなと思った。ドイツは学費がタダらしいし。イギリスは日本の私大理系ぐらい高いけど。

人間関係

フラットメイトはとても優しい、というか気を遣われているのか知らないが、非常にフランクで、かといって過剰にフレンドリーなわけでもない。ボディタッチなどしないし、しつこく夜遊びに誘ってくることもない。彼らは集団で生活することに慣れているように見える。彼らは多くの時間を共有のリビングで過ごす。そして会えば必ず「Hello」「Hi」などと挨拶する。そしてその度名前を呼ぶ。「Hi,Kurosagi. How are you?」たとえ30分部屋にこもって出てきただけでも。多分これは敵ではないことを強調する文化の一つなのだと思う。僕は(彼らと比べれば)部屋にこもりがちで、リビングでも黙っていることが多かったのだけど、そんな過ごし方をしていたら「黒鷺は僕たちのことがあまり好きではない」と思われてしまった。そんなつもりは全くないのに!

イギリスで驚いたことシリーズ(無秩序)

・フラットメイトは日本人の目線からすれば狂ったように料理にチーズをふりかける。それもそのはず、チーズとは食事に欠かせないもののようだ。寮に付属のキッチン用具の中に、チーズ削り棒も当然含まれていた。

・大学近くにも何件かチャイニーズスーパーマーケットがあるし、少し歩けば中華街もある。ある留学生が言うにはそこでは麻雀ができるらしい。彼はオンライン麻雀サービス「天鳳」のことも知っていた。

・インスタントラーメンは容易に買える。チャイニーズスーパーマーケットのみならず、一般のスーパーマーケットにも、OrientとかAsianとかのコーナーがあり、そこに並んでいる。チャイニーズスーパーマーケットには膨大な種類があるが、中でも出前一丁は一大ブランドのようで、日本では見ない味のパッケージが多く並んでいるうえ、他の商品の半額ほどで買えるので優しい。

・柿が買えた。3~4個で1ポンド。安い。

・パブはそこら中にあるし、休日ともなると(平日でも)昼からビールを飲んで赤ら顔のオジイサンも珍しくない。

・カジノがある! そしてテキサスホールデムができる! ポーカーはそこそこ人気がある。先週のポーカー同好会のトーナメントには100人以上が参加していた。カジノでは飲み物は無料なのでコーヒーが飲み放題だ。ビールも飲める。飲まないけど。

・学生団体がかなり健全に政治的力を持っていて、大学内にStudentUnionがビルディングを持っているし、年を通じてデイトリップやスポーツ体験を含むかなり多くのイベントを企画しているし、公式サイトではクレジットカードでイベントの予約やグッズの購入ができる。公認のサークル(society)はそこで会員証を販売している。サークルの会員になることで町中で割引サービスが得られることもある。

・イギリス人は信号をあまり守らない。安全と見るやグイグイ渡る。しかもそれを当然のように思っているみたいだ。勿論、子供連れや老年の女性など律儀に信号を待つ人もいる。

*1:ただの印象で何の根拠もない

*2:1ポンド=100ペンス

*3:他の留学生たちは「ここに留学していた学校の先輩から聞いた」らしい。縦のつながりって大事

*4:Ace is なんとかなんとか, 一斉に飲み始めて時計回りに飲むのをやめていく。右隣が飲むのを止めるまで飲み続ける。 Two is to you, pick someone and he drinks. Three is me. you drink. Four is Hole.women drink. Five is For Master.Put your thumb whenever you want to, and the last person put their thumb drinks. Six is Dicks. Men drink. Seven is Heaven. The last person raises their hand to heaven drinks. Eight is Mate. Pick someone and they drink every time you drink. Nine is なんとか。しりとりする。失敗したら飲む。 Trout stout out... Ten is category. 連想ゲーム。German Hitler mustache razor... Jack is Justice. You make a new rule. Queen is Question Master. You become a Question Master.If someone replies to your question, they drink. King is なんとか。Every time players pick King, they pour their drinks into the central cup, and the person who pick the last King drinks it.

「半月」聖地巡礼、伊勢日帰り旅行に行った

原作は2巻まで読んだことがあったかどうか怪しいレベルだったので、前日に「半分の月がのぼる空」アニメ6話を一気鑑賞し、旅行に臨んだ。異常な速度で話が進んでいって慄いた。

9時50分、車に乗った友人Q、M、Oと合流。京都東インターへと向かう。

11時ごろ、土山SAで休憩。上り車線と下り車線共通のSAで、かなり大きかった。QとMはおはぎが載ったソフトクリームを食べていた。

12時23分、伊勢インターで高速を下りる。とりあえず伊勢内宮を目指すも、誤って伊勢市街方向へ車を進めてしまう。しかしこのハプニングのお陰で、里香が入院していた市立若葉病院のモチーフの一つとされる、市立伊勢総合病院を目撃することが出来た。塗装が剥げ落ち黒ずんでいて、死の匂いがした。

12時50分、内宮へ向かう。なんとか横丁とかいう観光街を散策する。ひと通り回った後、横丁からは少し離れた大通りに面した店でマグロ鉄火丼伊勢うどん(小)のセットを食べた。1250円。観光地価格だとは思うが、柔らかくて味わいのあるうどんは醤油の香りがするタレとよく合って美味しかった。鉄火丼もマグロは臭みがなく味がしたし海苔もいい匂いがしたし満足。量もあった。
神宮内を貫くように流れる五十鈴川はきれいだった。水量も多く生態系も豊かなように見えた。そこでは入水は禁止だった。

伊勢神宮は特に何か、荘厳な建築物があるわけではなかった。長い歴史を感じる太さの木々が形成した森を歩いて行き、整った石段を登ると、本宮。2礼2拍手1礼して特に喫緊の願いもなかったので普遍的な祈りをした。

宮を出て茶房山中でかき氷を食べた。
マツコ・デラックスがかき氷をひたすら食べるテレビ番組を見てから今年の夏はかき氷を食べようと思っていたので、念願かなって幸いだった。
「田舎金時」(600円)という、黒糖ときな粉で甘みをつけたかき氷を食べた。黒棒の味がして、「黒糖の味ってこの味なんだな」と認識した。食べ進めると中にわらび餅が入っててビックリ。美味しかった。
ある写真家の写真が壁にいっぱい飾ってあったのだけど、日本語のタイトルと英訳版が並べてある中で、「優しい世界」(Fantasy)という作品があって妙だった。

冷房とかき氷で体温を下げて外にでると、日が隠れて気温も数度下がった感覚があった。
横丁の横道にあった太鼓橋に登ると、上流に水遊びしている人々が見えた。川辺では並んで涼をとるカップルたちが見え、鴨川に郷愁を抱いた。

おみやげに赤福を買おうとするも、3個入り6個入り12個入りは既に売り切れ、8個入りしか残っていなかった。伊勢神宮は駐車場もかなり埋まっていて、夏休みとはいえ平日だというのによくこれだけ集まるものだなと思った。一番混む時期は通りを歩けないほど人が集まるのかもしれないと思った。

神宮を発ち、砲台山(虎尾山)へ向かった。
近鉄 宇治山田駅近くに車を停め、明倫商店街を覗いた。完全なシャッター街だ。土日、祝日も営業しています!と書かれた看板が商店街入り口に置かれているが、店の8割はシャッターが降り、スプレーで落書きがされている店舗もあった。加えて商店街のアーケードが低く、閉塞感が強い。孤独に営業を続ける八百屋、営業しているのに明らかに中に誰も居ない雑貨屋、訪れる人が居るのか不明の「沢村栄治記念館」など、ホラーゲームの舞台に似た雰囲気が漂っていた。

満腹なのでまんぷく食堂を通過し、砲台山へ。住宅街にあるので経験者(M)の案内なしには辿りつけなかっただろう。
坂を登って公園に着き、「虎尾山 新登山口入り口」と書かれた鉄柵を開く。
「吉田山程度だから」とMは言っていたが、その舗装の粗さと傾斜は久松山程度だった。
しかし5分も登ると山頂へ。作中の景色が目の前にあると思うと、たしかに言い得ぬカタルシスがあった。
山頂の戦役記念碑の股下にはプラスチックの衣装ケースが2つ置かれ、ファンの交流ノートや原作小説、作品で扱われた小説作品、ファンの交流ノートや同人誌などが詰められていた。交流ノートを開くと、作品終了時から10年近くが経つ今でも週に5~6人のファンがこの「聖地」に来ているという衝撃の事実が我々を襲った。「半分の月がのぼる空」という作品の影響力の大きさは、僕が思っていたよりかなり大きいものであるようだった。
韓国や台湾からの訪問者の記録もあった。

「半月」レベルの作品でこうなのだから、他の聖地はもっと熱心なことになっているのか?と疑問を呈すと、「ここはかなり熱心な部類だと思う」とMが教えてくれた。
確かに、一口に「聖地」と言っても、作品内でその場所がどういう意味合いで使われているかによってその重要度が変わってくる。その文脈では「半月」の「砲台山」は、単に舞台の元ネタである学校や町並みなどと比べれば、かなり「聖地」めいた場所だと感じられた。

思春期の青少年たちが読んで10年後も記憶に鮮烈に残るような作品を書くって気持ちよさそう。

帰りしな、アニソン300曲メドレーを聴いてイントロクイズをして遊んだ。
【アニソン300曲】何曲分かりますか?Part2 【サビメドレー】 - YouTube

MやPはやはり多くの知識があった。
Oがバジリスクを即答し、Mがパいこ聞が正答できなかったことを悔いていた。
そうは言っても半分は誰も知らないアニメだったので、世に溢れる一生見ることのないだろうアニメに思いを馳せて僕は悲しくなった。

大津SAでういろうを買って、京都に着いたら解散した。19時30分ぐらい。

車は友人からの借り物だったので、ガソリン代など含めても総費用は6000円以下だった。
日帰り旅行を今までの人生でしたことがなかったので、気軽に行って帰ってこれて、旅行に対する認識が少し変わったように思えた。


次回は「聲の形実写化企画 ナガシマスパーランドで友達っぽさ」旅行を予定。

聲の形(4)

聲の形(4)


メモ
パスパス!
(突然突き飛ばす)
駐車失敗
「半月」ファンはエリート

何が起きてるんや! 吉田寮入寮停止告示の問題点と経緯まとめ

(この記事は団体交渉に参加した一人としての意見に過ぎず、自治会の公式な見解を示すものではありません。何か問題があったらすぐ対応します。)

2015年7月29日、京都大学のホームページに以下のような告示がされました。
吉田寮自治会への通知について — 京都大学

京都大学吉田寮の現棟は、平成17年度および平成24年度の耐震診断調査によって、耐震性を著しく欠くことが判明しています。今のままでは、大地震が発生した場合、建物が倒壊または大破し、寮生の生命が危険に晒されることが憂慮されます。
 学生寮について管理の責務を負う京都大学としては、寮生の安全確保を最優先する観点から、寮生の皆さんには、本年4月に竣工した新棟に順次転居してもらい、現棟の居住者をできるだけ速やかに減少させることが必要と考えています。
 このため、平成27年7月28日付けで、吉田寮自治会に対して、次の2点を求める「吉田寮の入寮者募集について」という通知(杉万俊夫 学生担当理事・副学長名)を発出しました。
1. 吉田寮の新規入寮者の募集については、平成27年度の秋季募集から行わないこと。
2. 吉田寮の寮生の退寮に伴う、欠員補充を目的とした募集を行わないこと。
 なお、新棟については、吉田寮生の一時的な居住場所として使用する期間の経過措置として、寮費を現行の月額400円のままとするなど、大学としても速やかな転居を後押ししていきます。
 京都大学は、今後とも、質の高い高等教育学術研究を推進していくための環境整備に努めていきたいと考えています。本学学生、教職員のご理解とご支援を引き続きよろしくお願いいたします。


この文書の問題点は以下です。(太字はすごく重要)

1.入退寮選考権は自治会の重要な権利の一つであり、当局側がそれを弾圧することは吉田寮廃寮に直接繋がりうる重大な自治侵害行為である。
2.この提案は吉田寮自治会との議論を経ずして発表されたものであり、これは自治会との対話を放棄しないという確約に明確に反している。

3.公式HPで告知することによって、権威的な裏付けが為されてしまい、誤解が拡散される。


そして自治会側は「告示の即時撤回」と「団体交渉の再開」を要求すべく杉万副学長と即日交渉をしました。

以下、それぞれの問題について詳述します。

1.この告示には、「現棟の居住者を減少させ」た後、何をするのか含まれていません*1
歴史的事実として、日本全国の多くの学生寮が「入寮選考を停止」→「居住者減少」→「廃寮」という段階を踏んでいったという事情があります。
吉田寮としては、廃寮に直接繋がりうる「入寮選考を停止」という危険な訴えかけが、当局HPから公的に為されたという事実を重く受け止め、マジでヤバイとふざけるなと抗議している、ということです。

2.さらに、この提案は、2015年2月19日の杉万副学長を含む学務部と吉田寮自治会の団体交渉において、既に一度撤回された内容です。当局側は「現棟の耐震性を調査するために、現棟を空にして欲しい」という提案をしましたが、自治会は「調査は寮生が居住した状態でも可能である」「調査の具体的日程、手法などが全く未定のまま、寮を一旦空にしろという提案は到底信用出来ない」と、交渉において反対。議論の末副学長の合意を取り付け、この提案は交渉のなかで公式に撤回されました。
しかし、次の3月9日の交渉以降、7月29日に至るまで団体交渉は行われませんでした。それは、自治会の再三の要求にもかかわらず、学務部から「現在は交渉を行える状況にない」と拒否されてきたからです。そして昨日、ホームページにこの告示が発表されました。そして現在も、(仮に)寮の居住者を減らした後どうするのか、という具体的なプランは一切示されていません。
「話し合いはしない」「プランはない」「とりあえず出て行け」って、ヤバくないすか? 「廃寮なんて考えてもない」って信じられます?

3.吉田寮はそもそも、多くの経済的に困窮している学生の「大学に通う権利」を保障するために存在しています。日本はこの60年で、国立大学の学費は20倍近くに高騰、一方公的な給付型奨学金は消滅、要返済の「学生ローン」のみになりました。そんな中、吉田寮は今も「年三万円」という非常に軽い負担で居住することが出来ます。
しかし、経済的に厳しい状況にある日本・諸外国の学生が、京大公式の発表を見て進学を諦めてしまう、ということは十分あり得ます。また、経緯を知らない人々が、間違った意見を拡散してしまう可能性もあります。
例えば、このツイートでは、あたかも募集停止が既成事実のような見出しに変わっています。

以上のような理由から、この告示は「黙って無視しておけばいい」という類の問題ではありません。

・付加説明
Q.吉田寮自治会は補修に反対してるん?
A.むしろ逆です。現在話し合いは難航していますが、吉田寮自治会は何十年も前から補修を要求してきました。当局側がそれに応じてこなかったため、ついに建築年数は100年を超えてしまいました。自治会が耐震調査を計画し、大学に提案しても「予算がつかない」など、交渉で拒絶してきました。そして今、その責任を全て寮生側に押し付ける提案を、交渉なしに発表しました。
だから揉めてます。

Q.つーかもう吉田寮は無理でしょ? さっさと壊して建て直したほうがいいんでは?
A.寮は補修で十分耐震化は可能であり、補修する方向で調査・議論を進める。というのが交渉で合意された内容です。
それは建築士の方の調査を依頼した上での結論ですし、また、築100年を超える貴重な大正建築である吉田寮の文化的価値を尊重した上での結論でもあります。

この記事でも詳しく述べられてます。urotsuqu.hateblo.jp

結論:団体交渉に来よう!

学生と大学は、歴史的に、この「団体交渉」で意見の折衝を行ってきました。学生がわらわら集まって、職員や偉い大学の先生と話す場です。なんで団体で交渉するのかというと、大学当局と比べて学生は弱い立場にあるからです。

吉田寮の問題は、現在吉田寮に住んでいる人だけの問題ではありません。
潜在的には誰もが経済的困窮者になるかもしれませんし、未来の入寮生たちの権利を守ることは、今大学にいる私達の責務だと思いませんか。
団体交渉は今、「参加者が少ない」という最もラディカルな危機に瀕しています。
京大でも今、「政治的に行動するのは危ない人だ」みたいな風潮が一般化してるように思います。それは様々な要因があると思いますが、ここではそれには触れません。でも、寮を潰そうとする明確な流れがあって、そこに対抗できるのは、自分たち以外には居ないんです。当然のようにそこに存在しているようにみえる心地よい空間は、先人の努力があってかろうじて成立しているものなんです。それがずっと続くなんて保証はどこにもありません。

自由の学風は自然にそうであり続けるわけではないんです。必死な議論の結果手に入れるものなんです。
少しでも興味を持っていただけたら、一度でも良いので足を運んでみてください。*2
京大生である必要もなく、問題に関心のある方は遍く歓迎されます。
最新の情報は、以下のアカウントで得られると思います。(寮の公式アカウントではないです)


3行で分かる団体交渉の注意点

・個人名・役職を呼ばない(あとでいじわるされるかもしれへん)
・あくまで自治会と当局の交渉なので、勝手な妥協案を出さない(寮側と話したいときは寮に行こう)
・暴力とか違法行為は絶対だめ(あたりまえや)

なにかあったらその場の詳しそうな人に聞こう。
おわり。

*1:勿論、2015年7月29日の即日抗議交渉にて、杉万副学長は「執行部に廃寮させるなどという意思は全くない」と発言していますが、実際に自治会との信頼を裏切る行為をしている点、仮に今無くとも、体制が変わるなかで廃寮化への動きが生じると否定出来ない点から、信頼に足るものではありません。

*2:ただ、団体交渉もそれ自体に問題が無いわけではない(と思う)のでそれについての記事もまた書きたいと思います……。

平田オリザの本を二冊読んだ。

コミュニケーション力を引き出す (PHP新書)

コミュニケーション力を引き出す (PHP新書)

を読んだ。別々に感想を書きたいところだが、内容が重複していることと、記憶が混濁していることから、両方にまたがって適当に書く。

前者「コミュニケーション力を引き出す 演劇ワークショップのすすめ」は、例えば企業の管理職みたいに、組織のコミュニケーションを潤滑にしたい人向けに書かれたお手軽新書と言った風。劇団衛星の主宰と寄稿しあって対談した一冊。

ビジネスマンを対象に実際に行った演劇ワークショップが記録されてて面白い。

【印象に残ったこと】
・社員を動かす動機付けは、会社のため+自身のため+社会のため という三面からの利点が必要。
・リアルさを実感させるためのロールプレイ→問題が発現する以前の段階での「気付き」が必要。ありきたりな答えに落ち着いてしまわないためのフィクショナルな部分。異常な価値観や問題の所在の曖昧さ。←「応用不可」の、状況。具体的な「こういうときはこうする」という杓子定規な学びよりも、もっと根源的な体験。
・恥ずかしいことを一緒にやることで生まれる一体感。
・ボールを投げるシアターゲーム。一つ目は名前を読んで、返事を聞いて、ボールを投げる。2つ目以降は、一個目を追いかけていく。互いのことを受け入れること。
・日々に忙殺されるなかで、互いのことを見つめ合うことを知らず知らずのうちに放棄し、非常に教義な文脈で互いを認識することに慣れてしまう。演劇を共同して作るということは、それぞれが持っている文法を白日のもとに晒し、その齟齬を修正していく過程である。


後者「わかりあえないことから コミュニケーション力とはなにか」は、近年しばしば取り沙汰される「コミュニケーション力」により焦点を当てた一冊。
「コミュニケーション力」が問題とされるようになった時代背景と、現在の教育・福祉・社会構造における課題を明らかにし、具体的な対策を語る。
具体的な教育方法は述べられていないが、考える材料を多く与えてくれて面白く読める。
具体的なワークショップの方法論に興味のある人は

とか別の本を参照すればいいと思う。

【印象に残ったこと】
・「コミュニケーション」という点で、日本社会全体は、「異文化理解」と「同調圧力」のダブルバインドに陥っている。これは、「明確な自己主張と、他者との折衝能力」と、「上役の意見を察し、輪を乱さないこと」の矛盾である。
少子化・個人化が進行するなかで、生活のなかで「他者」は減少した。甘やかしてくれる親・祖父母は自己主張せずともすべてを与えてくれるし、少ないクラスメイトは既に互いを熟知している。*1表現は他者を必要とするが、教室に他者は居ない。このように「わかりあう・察しあう」優しいコミュニケーションで幼小中高と育ってきて、いざ就職だという段になって「自己表現だ」「異文化理解だ」と投げ出される厳しい状況が存在する。
・根幹にあるべき「自分のことを伝えたい」と切実に希求する機会が存在しない。←体験教育で提供
・かつては「コミュ障」*2でも、技術職で十分食っていけた。→「顕在化」が起こった
・求められている「コミュニケーション能力」って、実は「スキル」や「マナー」と同じレベルの教育的事柄なのでは?*3←個々人の人格や資質に欠陥を指摘するほどの大した問題ではない。
・社会的な変化によって生じた現象を、個別の人間の責任に帰するのはお門違い。
・教師が生徒に教えすぎている現状。生徒が自らアイデアを掴もうとしている寸前に結論を提示してしまう。「ヒント出そうか?」と示唆するのも、あくまで「教師が用意した・やりたいこと」への道標でしか無い。そのほうが「教えた達成感」が得られるから?
・話し合っても結論が出ないこともあるし、そもそもそんな時間を費やすに値しない、ジャンケンで決めてしまえばいい問題もある。議論の題材を取捨選択する能力が子どもには必要。*4
・単に「台詞を喋る」ことだけでなく沈黙や不在自体が表現となり得るのだと気づく瞬間がある。
・「コミュニケーション教育」は「国語」か?→「国語」って科目もう要らなくない?「表現」と「ことば」に分けようよ。「表現」ではスピーチやダンス、演劇音楽図工など、「ことば」では文法・発音・発声を教え、外国語も混ぜることで自国語の相対化も図る。読み書き統一識字率向上という明治以降の近代における役割を、「国語」は既に終えているよ。*5
・俳優に負荷をかける=ある台詞を口にするとき、右手でコップを掴み左手で新聞を引き寄せるといった複雑な動作を強い、またそのとき視界に写っていることや聞こえる音を記憶させる。=意識を分散させ台詞の力を抜く。+「無駄な動き」(自然な人間らしさ)が、持続する。
・抑揚で台詞を強調する文化は日本にはほとんど無い。むしろ重要な語句の倒置、反復がメイン。→「芝居がかった」とされるアクセントの強いセリフ回しは、西洋の近代演劇を表層的に輸入してしまったことが原因。
・「会話」と「対話」の区別。「会話」は近く親しい文化を持つ人々のくだけたお喋り。「対話」は、親しくない人間を含む、異質の価値観や情報の交換。或いは、その摺り合わせ。
・「わかりあう文化」=「会話」の文化
・「会話」からは情報は得られない。「対話」するからこそ物語が動き、観客の情報が与えられる。
・日本語には、対等な関係で褒める語彙が極めて少ない。例えば英語だと、wonderful, terrific, fabulous, greatとか枚挙に暇がないが、日本語では、敬語になるか、見下すかになってしまう。*6
・日本語が「対話」において貧しい言語であるために起こっている問題例。女性が男性に命令する言葉遣い。女性上司-男部下。看護師-患者。赤ちゃん言葉になってしまう、或いは、非常に厳しい口調に聞こえてしまう。「これ、コピー取っとけ」「これ、コピー取っていて頂戴」(男女で違和感)→問題の解決のためには、男性上司も部下に対して丁寧な言葉で、つまり、「対話用の言葉」を用いるべきではないか。「これ、コピー取っといてください」←言語権力者(壮年男性)こそが態度を改めるべき。
・シマ・ムラ社会と多民族社会の文化の違い。どちらが良いということではなく、日本でも後者の様式が求められる状況になってきたということ。
・社会的弱者は往々にして言語的弱者(自分の状況・感情をうまく伝えられない)でもある。論理的に話す能力よりも、論理的に話せない人の感情を汲み取る能力のほうが重要ではないか。
・「演じる」=「社会的に要請されている役割をこなす」ことこそ人間が人間である所以なのだから、もっと肯定的に、演じることを楽しもう。

*1:筆者は地方の廃校寸前の小中学校を例示しているが、僕は一応田舎出身だが「学校にもはや他者は居ない」と感じたことはないし、あくまで一部の例だと思う。

*2:筆者は「口べた」と言ってる

*3:ナイフやフォークの使い方のような

*4:「戦略とは、限られたリソースをどこに分配するか決めることである」って瀧本哲史先生の授業で聞いたんだけど、まぁそういうことだと思う。人生は有限。

*5:日本は発音を教えない数少ない国、という指摘があった。確かに習わない。「するめです」のすの発音がそれぞれ違うって知ってた?

ダーリンは外国人(2)

ダーリンは外国人(2)

*6:万能な形容詞として「かわいい」が挙げられていた。あとはなんだろう。「すごい」「かっこいい」…。「ナイスショット」「どんまい」「オッケ-」など外来語に頼らざるを得ない現状らしい。まぁ確かに「お上手」「流石」は謙ってるし「なかなかだな」「よくやった」は上から目線だ。

「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」と「ブラックホークダウン」を観た。

本当は「ダークナイト・ライジング」も観たのだけど、その感想は以下のツイートで完結している。

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」は、前編英語音声+英語字幕で見たので理解しきってない部分があるかもしれない。
口先一つで周囲を騙し延べ6M$分の小切手を濫造した男の話。
主人公を追うFBIが良い味出してて、初対面でなんとか逃げ延びるシーン、電話をかける相手が居ない寂しい人間だと看破するシーン、会話の節々から徐々に追い詰めていくシーンがよかった。
また、嘘をつき続けてきた主人公が妻のことを信じ切れずに迎えに行けない場面もよかった。
主人公と対照的に警官が誠実で、フランスで主人公を説き伏せるシーンで、騙したんかーいと思わせてやっぱり真実を語っていたとわかる場面は上手いなと思った。観客の予想を的確に操作している。

ただ少し長い。逮捕されてからも20分ほど続くのでうんざりした。しかし、本作は自分の手の届かないところで家族が変化してしまったことを受け入れられない幼稚さを持った主人公が、家での末なんとか自立する話なので、結末まで描くことは必要だったとは思う。


ブラックホークダウン」は、台詞も早いし読んでもわからないので日本語字幕で見た。
ソマリアの紛争にアメリカ軍が介入して失敗する映画。
単純だと予想された作戦が、ふとした事故をキッカケに段々陣形が崩れていき泥沼化。多くの犠牲を出しつつからがら撤退する…という145分の映画。つらい。
まず見ていて辛いのは、軍隊の行動原理が僕には全くわからないこと。たぶん僕の想像力が貧困なのだと思う。
キリスト教では最後の審判後に肉体が復活することになっているからか知らないが、アメリカ軍はとにかく兵士の死体を極力持って帰ろうとする。*1全員で帰れ。Leave No One Behind, even if they are dead.である。そもそも作戦が崩れ始めたのは、たったひとりの負傷者を本部基地に戻すため3小隊を帰還させたからだ。そこから援護射撃が減り、ヘリが一機RPGに撃たれて墜落。今度はそのヘリを助けに行くために人員を割く。しかし墜落地点は結構遠い。だから兵士が更に撃たれる。そういう悪循環。
戦場で怪我した人間なんてとりあえず放っておけよと思った。実際、本部への輸送中に一人撃たれて死んでいる。合理的じゃなくない?

第二に辛いことは、戦闘の目的が完全に見失われていたこと。これは映画としては意図的なことなんだろうけど、凄惨な殺し合いの先に何があるのか全く見えない。暴徒の中に置き去りにされ、弾のある限り民兵を撃ち続ける。それがいったい何になるんだ。弾倉は助けが来るまで持ちそうになく、敵の数は圧倒的。それでも殺す必要があるのか? 言葉も通じない民兵にだって家族がいるしこれまでの人生もこれからの未来もあるってのに。
ソマリアの紛争を止めるためにアメリカ兵は命を懸けているのだけど、それは個々人の信念とは無関係のところで動いている政治的要因であって、彼らが命をかけている現状に疑問を抱くのは当然だと思った。兵士は「仲間のために戦っているんだ」「英雄になりに行くわけではない、結果的にそうなる」と言うけども。まぁこの「仲間」が、アメリカ兵だけでなく、自由と平等を求めるソマリア国民も含んでいるのかもしれないと思った。そう考えると、僕なんかよりもずっと実践的な平和主義者だ。

この疑問が生じたのは、多分、命からがら走って帰ってきたアメリカ兵を、ソマリア民間人が、笑いながら迎えるシーンが有るのだけど、そこがイマイチ歓待しているように見えなくて、バカにしてるのかと思ってしまったからだと思う。

アメリカ兵は、僕の目には大きな流れのなかで命を捨てさせられる哀れな捨て駒にしか見えなかったし、カッコイイとか美しいとか言った感情は呼び起こされなかった。
本当にソマリアの平穏に一役果たせたのか? その結果、殺した民兵より多くの民衆を、救うことが出来たのか?

そこが見えない以上、なんとも思えない。相手を殺す以上、戦争について肯定的な評価はできない。

*1:この話を友人にしたら、「軍隊って大抵そうじゃないか?」と言われた。真偽の程はわからない。