ああああ

漫画・本・映画・演劇・その他コンテンツの感想を書く場としてがメイン。日本語の練習を兼ねています。

「岩井秀人×快快「再生」」を観た

岩井秀人×快快「再生」 を観た。
この感想は、快快「再生」を観たことのない人にとっては、実感が沸かないばかりか、これからの人生で起こるかもしれない「再生」感激体験を毀損するだけで何の益もない害悪たりうるので、読まないことを勧める。
次回再演された際、適度に期待して観に行くといい。





異質な面白さがあった。普段消費する「物語」とは異次元の面白さだ。
「全く同じ狂乱を3度繰り返す」という、コロンブスの卵的舞台の構造は、それだけ聞けば耐屈に感じられるが、実際に客席に座って体感すると、得も言えぬ快感があった。

まず一度目。高く組み上げられた本棚は壁にそって斜め奥に伸びていき、樹木と、その足には10本ほどの色とりどりのペットボトル飲料、舞台左手手前にはソファ、中央には和風庭園めいた雅な岩、舞台奥には、神社めいた編まれ方をした綱が、しだれ下がり並んでいた。
そこで行われるのは、音楽に合わせた、踊り、とも言えぬ、馬鹿騒ぎだった。暗闇に民族的音楽が流れると、役者はゆっくりと起き上がり、そのリズムに乗って踊る踊る。てんでバラバラ舞台上を駆けたかと思えば石を囲んで回り出しまた散開して揺れ動く。
時折声が漏れるが意味のある言葉ではなく喉から流れる音でしかない。

作品に対して前情報のない観客は、眼前で行われる芝居が何なのかわからず、呆然と見つめるしかない。
1曲目が終わると、僕はこれからストーリーが始まることを期待した。が、2曲めが始まると、その考えを捨てた。きっとこれが続くのだ……。果たして僕はこれが何を象徴しているのだろうか、と必死に考えながら観た。払った3000円を取り戻そうと。

しかし、100分間これが続くのか…と思ったのもつかの間、踊りは常に激しくかつ単調でないため見ていて飽きないし、それぞれの曲中に盛り上がりもあるし、「次はどんな曲が?」と楽しみになっていたあたりで、第一幕は終わった。
民族音楽テクノの次はメタルロック、かと思えば聞き覚えのあるクラシックが流れ…とまぁ全部は覚えてないけど、刺激的なセットリストだった。
MY TIME-bo en で「おやすみ おやすみ」と歌われ、派手な舞台効果があり、そして眠るように曲が終わる、のかと思えば、キャスト紹介が始まるのかと思うほど雰囲気がガラッと変わったLASER-banvox が流れる。そして再び激しい踊りを強いられる役者。エネルギーを残さず放出しきって、それぞれの役者は始まりと同じ位置に、着く。暗転。

ひと通りの山場があり、始まりと同じ立ち位置に全員が戻った時点で、「あぁ、再生とはこれを3回繰り返すことなのか」と、恐らく観客は理解したことだろう。「再生」なら2回では物足りないし、4回するには尺が足りないように感じられた。そして再びJuno Reactorが流れた時点で、予感は確信になる。
Juno Reactor - Conga Fury [HQ] - YouTube

そうは言っても常識が邪魔をして、「いやいや、同じことを繰り返したって一回見てるんだから、なんかストーリーが盛り込まれたり、重大な変化が起こったりしてるんちゃうん?」と思って気を抜かずに見る。しかし、2曲目の半ば辺りで、僕の集中力は切れた。執拗に再生されている。一周目において、徹底されたダンスの綻びのように見えた、躓き、滑落、水分補給が、全く同じタイミングで上演されている。彼らはあと2回、全く同じものを再生する気だ。そう分かったら笑ってしまった。冗談でしょ、と。

笑ってすぐは諦めの気持ちから眠気に襲われたものの、しかし3000円払った分は楽しまなければと思って舞台に食らいつく。必死で見る。すると、発見も多い。
6人の役者が、舞台上の様々な場所でそれぞれに踊り狂っているから、同じ場面でも視点を移せば見えていなかった部分がある。「ここでコイツはこんなことしてて、だから観客は笑ってたのか」とか、「この場面でコイツはこんな動きで参加してたのか」とか。奥行きも高さもあるので、一度では視界に全て収まらない。そうして視点を変えつつ同じ場面を見ることで、脳内に風景としてではなく空間が保存されていく感覚があった。また、一度観たものがそのまま目の前にあるというデジャヴュの快感もあった。

文句を垂れていても始まらないので開き直って舞台に集中することが出来た。普段の生活では、同じ作品を(よっぽど好きでもないのに)3度も繰り返して見ることはない。この体験が無料なら僕も途中で退室していたかもしれない。演じる側と見る側双方の努力があって成立する作品だと感じた。

そして二周目ラスト、Banvox-Laserが流れだした時、もう役者はへろへろに憔悴しきっていたように見えた。
それでも全力で同じダンスを再生する。その切実さに僕は声を上げて笑った。特にあの細長い人。

この時点で、役者は再生しているのではなく、再生させられているのかな、と思った。勿論彼らの上には演出家が居て、一切動きを変えずに再生することを強いられているという意味でもだが、神のような存在に、人間が、ひたすらに再生することを強いられているのでは、と想像が働いた。そう思えば舞台奥に張られたしめ縄は神縄そのものであるように見えた。「再生」って行為自体に思いを馳せても、自然界にはそもそも全く同じ行為が再現されるなんて事象は起こりえないわけで、それを可能にするのは、デジタルに記録された音楽か、神による上演ぐらいのものなのか、なんて思いながら3周目を迎えた。

疲弊しきった(ように見える)役者が、想像通りとは言え3周目を踊り始めたときには、やっぱり笑ってしまった。そして、「もしかしたらコイツラは再生させられているのでは?」と思うと、役者への同情の念が湧いた。それは舞台上のキャラにも、メタ的な意味での役者にも。彼らはこの再生を、毎日行うために、走りこみをし、細かい動きの手足一挙手一投足を完璧に記憶するため何度も何度も反復し反復し、練習を重ねてきたのだろうなと想像すると、応援してあげたいと思った。意味の分からない音楽に合わせて理解の出来ない踊りに奔走する彼らが、初めて共感の対象になったのだ。

この時点で、演劇を見ているというよりも、正月に駅伝を見ている感覚に近くなったと思う。
僕はただ必死で頑張っている様にゲラゲラ笑い、涙をこらえ、応援することしか出来なかった。


共感という意味では、物語性のないダンスに時たま現れる、女性を誘って断られたり、スカートをめくって怒られたりする一幕は、彼らが思考能力のない人形ではなく、観客と地続きの人間であるってことを示してたのかな。あれは明確なコミュニケーションだった。

メタ視点を携えてみると、この狂乱も神聖な儀式のように感じられ、彼らの叫びの一声一声が、神に向けられた怒りや悲しみの慟哭に聞こえる気もした。

岩井秀人×快快「再生」は、こうした(言葉で説明すれば他愛のない)思考の流れを客席で自主的になぞることが出来る希有な場であった。KAATは音響もサイコーで、ダンスフロアみたいに低音がズンズン響いて、Youtube音源を僕の低スペックPCで再生するだけでは味わえない快感があったよ。

楽しい体験だった。友人の下駄(id:hiyorigeta)はもっと高尚な感想を書いてました。ポストドラマ演劇の死と再生や。演劇の虚構性の超越や。なるほどなぁ。


岩井秀人のTwitterから知ったセットリストwww.youtube.com
CONGA FURY-JUNO REACTOR
CREEPING DEATH-METALLICA
威風堂々
WORDY WRAPPINGHOOD-TOMTOM CLUB
POLYNESIA-石野卓球
MY TIME-bo en
LASER-banvox

bo en の MY TIME はアルバムごとフリーダウンロードできる。やったね。maltinerecords.cs8.biz
DOWNLOADをクリックするとZipファイル形式で落とせます。

(了)