ああああ

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3/31の日記と運とプレイングとコミュニティ

昨日の夜、夢ノ島越前公演さんとご飯を食べた。
出会って5年経つが、奇妙な関係で、年は4つか5つか上の、先輩か友人のような方である。家族内や、小・中・高において、年上の立場の人間と適切なコミュニケーションをする経験に欠けており、大学においても、社会的な要請のもと儀礼的な経緯を示して交際する経験を持たなかったため、24歳にもなって上手く立ち回れない。新入社員研修でなんとかしてほしい。

23時ごろに新宿で別れ、友人と合流し、矢向駅へと向かった。デュエルマスターズのCSに出場するためである。
池袋での待ち合わせでもたついたため、終電ギリギリの移動となった。プレミアムフライデーの終電間際の>?線は、非常に混んでいて、ソーセージのようにみちみちに詰まった車内にふとすのような間隙があるかと思えば、吐瀉物である。なんなんだこの街は、と、慣れ始めていた東京での暮らしに、陰が差した。「こんなもんだよ、東京って」と友人が言った。こんなもんが当然だと思いたくはない。*1
座った車内の隣の席では40を過ぎた銀髪混じりの痩身サラリーマンが酔って眠り、膝を開いて、頭をだらりと僕の肩に載せてくる。幾度か肩を上げて抵抗すると、彼が目覚めた。僕を怪訝そうに見てくる。なにか文句でもあるのか? と私は自らの正当性を主張するように睨みかえす。彼はぶつぶつなにかを言っている。「はい?」と、僕は恐怖を押し殺して、どこか笑い出しそうに訊く。裏返らないよう声が高くなった。のどが渇いてレモン味の炭酸水を飲む。「飲むな、って言ってるんだよ」と、酔いからか、矜持からか、姿勢を正して、私に聞こえるか聞こえないかの声でつぶやく。いや、あなた、酔っ払って、脚開いて、知らん若者に身を任せていた自分の姿をご存知ですか。友人と一緒にいることを気にしてか、酔った見知らぬオッサンの理性に信頼をおけなくてか、単に臆病からか、理路整然とした反論はその断片すら僕の口から出てこず、嘲笑するように「は、はは」と肩をすくめ、視線を合わせるのを止めた。オッサンは原宿で降りた。

1時前にカードショップに着いた。最近デュエルマスターズフラゲに厳しいらしく、発売日前日の販売は通報の対象となるらしい。そこでこの店舗では、深夜営業を行い、深夜から翌日朝11時からのCS(中規模な公認大会)に合わせて新しいパックの販売を行っているのだ。
ちなみに、今回のCSは、参加費2000円(!)で、144人程度が参加、パック3カートン山分け方式で、上位16名で新弾がもらえ、それ以上になると特別な装丁のカードが貰える。知らないうちにデュエルマスターズも高年齢化し、お金の集め方に工夫をするようになったのだなぁ。モノ消費よりコト消費。

この語りからわかるように、僕は全然詳しくない。中学、高校までやったりやらなかったりしていたが、東京の友人と連れ立って、賑やかしに来た次第である。夜通し指導を受け、翌日の大会に備えた。
深夜のカードショップは25人程度のプレイヤーたちで賑わっていたが、めっちゃ五月蝿かった。これは偏見だが、カードゲーマーはウルサイ。カードゲーマーは4~6人でグループを作り、ハンドルネームで呼び合い、表情筋が死んでいて、メガネを掛けていて、髪がワックスでキマっていて、にきびがあり、音量の定まらない声でゲーム展開の理不尽さを野次る。何故他の客の存在に気を配れないのだろうか? それは、大学生にもなってカードゲー……やめよう。*2
まぁ、ブンピカのようなものである。自分が入れないブンピカ。そんなのが2,3個一つの部屋に集まっていたら、想像するだに気分が暗くなるだろう。ただ、彼らのホモ・ソーシャルな、かけられる冷水が存在しないヒステリックな掛け合いは、一周回って面白く感じられる、瞬間もあった。

机に突っ伏して3。5時間ほど仮眠を取り、大会となった。

僕の成績は○×○○○○で予選を突破し、本戦×でベスト16だった。
使用デッキはアナカラーのシャコガイルコントロール。バウンスとハンデスで時間を稼ぎつつアドを稼ぎ、シャコガイルでエクストラウィンを狙うデッキだ。対応力がモノを言うデッキで、ろくに環境も知らない人間が使っていいデッキかどうかは疑問である。ちなみに相手は<ジョーカーズ><デュエにゃん><デスザク><墓地ソ><スザク><墓地ソ>‐<青黒ハンデス>だったと思う。
とにかく僕は相手のデッキのカードの効果もわからないことがあるし、効果の処理もたまに忘れるし、判断間違えるし、自分のデッキをシャッフルするたび手が震えてこぼすし、と最悪だったのだが、それでも勝ってしまった。となるとどうだろうか。相手は気分がよくない。

CSに出るようなプレイヤーは、まぁ大学生前後が多く見えたが、彼らは環境を吟味し、自分のデッキを作り、回し慣れた人々だろう。気合を入れて大会に出たら、相手がヘラヘラした初心者で、ミス丸出しのなめプレイをちんたらした挙げ句、自分に黒星を付けた。そりゃあ憤懣やるかたなかろう。そして彼らは試合後仲間内に戻り、僕の悪口を声高に言うのだ。
特に4戦目はひどい運ゲーだった(手札がサルトビジャイアント1枚で、NS→場のバイケン効果で1ドローでバイケン引く→サルトビ効果でサイゾウミスト引く→サイゾウミストでテック団置いてアタッカー全処理)し、5戦目もクロックを引いたら負けという状態で、TブレイクしてからWブレイクをしたら、終了後相手がたまらず指摘してくれた。ありがたいなぁ。


デッキの相性や、シャッフルによる運要素という自分に御しきれない要素を含むカードゲームを愛好し、そして初心者の僕に負けて怒り悲しむ人々(全てのプレイヤーがそうというわけではない)。
一見尤もだが、その不確実性を愛せないなら、何故そんなゲームをやるんだろう。

そして、僕がよくわからない点は、彼らは僕のミスに厳密であるという点である。例えば「ターンの終わりに一枚カードを引いてもよい」という効果を、僕は一度忘れた。「……で、ターンエンドです。あっ、エンド時に」「いや、もう宣言しちゃったんで」と。「最適プレイへの忠実さ」、つまり、シャッフルの後配置されたカードの順列とじゃんけんの結果によって決定される最適な進行の希求と「与えられた条件下での勝利への欲求」が、あまり噛み合っているようには見えない。もちろん、公式大会なのでルールに厳密であるのは当然だ。しかし、理性的な戦略の決定を重視する一方で、ちょっとした過失に厳しく、かつ、それを補う運要素を受け容れられないのは、矛盾してないか。してないかな? この件については、議論の余地がある。(この記事全体に悪意を感じる。自己批判を他者に投影して行っているかのようだ。)

これは、麻雀ガチ勢と麻雀をしたときにも同じことを感じた。麻雀は運ゲーなので、僕でもたまには勝つ。するとこう言う。「最適に行動したねんけどなぁ」。おう、そうだな。しきりに反省するので、僕は恐縮する。そらぁ、1000回打ったら君が勝つと思うよ……。でも今回はね……。そして僕はそれを喜んではいけないのか?(この記述は個人を対象とした悪口ではありません)

デュエルマスターズもそうで、1000回やったら僕なんか150回ぐらいしか勝てないんじゃないかな。それでも今日は勝ってしまった。ラッキー。

負けたら悲しいし、勝っても素直に喜べないゲームって、楽しくないなぁと気づいてしまった。
まぁ、僕が最適にプレイできない(のに運で勝つ)ことに問題があるんですが……。

ちなみに、本戦の対青黒ハンデスは、キーカードがマナに落ちていることを見逃した上、手札が全部多色カードで1マナ足りなくなることに気づかないという二重のミスを経て敗北したので、むしろ安心しました。よかった、世界は公正だったんだね……。


だから、楽しめるゲームを選ぼう。自らの選択が結果を大きく左右し、限られた資源を巧みに配分する戦略立案が鍵で、目的を達成したときは爽快感があり、かつ適度な運要素も併せ持つ。そんなゲームを。例えば人生とか……。


あと、今回の遠征で友人のデッキケースがひとつ盗難に遭った。中身をメルカるだけで5万ぐらいにはなるらしい。治安の悪さも距離を置きたくなった一因だろう。悲しい気持ちになりたくない。

*1:昔はそうでなかったはずなのに今では当然と諦めてしまっていることもあるのかもしれない

*2:普遍性がある